知財高裁 令和4年1月19日判決(令和2年(行ケ)第10122号)
1.事件の概要
原告は,発明の名称を「ウデナフィル組成物を用いてフォンタン患者における心筋性能を改善する方法」とする発明について,2015年6月30日(パリ条約による優先権主張 2014年8月12日(US),2015年6月29日(US))に国際特許出願をした(日本国における出願番号:特願2017-504434号)。
原告は,平成30年9月14日付けで拒絶査定を受けたため,平成31年2月4日,拒絶査定不服審判(不服2019-1474号)を請求したところ,特許庁は,令和2年5月28日に「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をした。そこで,原告は,令和2年10月19日,審決の取消しを求める訴訟を提起した。
争点は,記載要件(実施可能要件,サポート要件)であり,審決において,記載要件を満たすことができないと判断され,知財高裁において,この審決が支持された。
2.特許請求の範囲の記載
本件補正後の特許請求の範囲の記載は,請求項1から11からなり,その請求項1の記載は,次のとおりである(以下,請求項1に係る発明を「本願発明」という。)。
【請求項1】
フォンタン手術を受けた患者における,最大努力時VO2により測定される運動耐容能の改善用の医薬組成物であって,ウデナフィル又はその薬剤的に許容可能な塩を含み,該ウデナフィル又はその薬剤的に許容可能な塩の投与量が1回当り87.5mgであり,前記組成物が1日2回投与される,医薬組成物。
3.審決
(1)実施可能要件違反について
本願発明の医薬用途は,フォンタン手術を受けた患者における,最大努力時VO2により測定される運動耐容能が向上することを意味するところ,本願明細書の記載において,本願発明の医薬用途の効果を示す実施例(87.5mg/1日2回)は比較例に対して有意差が認められない。
したがって,本願明細書には,当業者が,フォンタン手術を受けた患者において,ウデナフィル又はその薬剤的に許容可能な塩を,1回当り87.5mgを1日2回投与した際に,最大努力時VO2により測定される運動耐容能を改善することを理解することができるように記載されているとはいえない。さらに,この点について、本願出願時において技術常識が存在するものとも認められない。
そうすると,本願明細書及び出願時の技術常識を参酌しても,ウデナフィル又はその薬剤的に許容可能な塩を,1回当り87.5mgを1日2回投与することで,フォンタン手術を受けた患者における,最大努力時VO2により測定される運動耐容能の改善用の医薬組成物として機能することを,当業者が理解できるように記載されているものとは認められない。
(2)サポート要件違反について
上記(1)において説示したところによれば,本願発明は,本願明細書の発明の詳細な説明の記載により当業者がその課題を解決できると認識できる範囲のものであるとは認められず,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らしその課題を解決できると認識できる範囲のものであるとも認められない。
4.知財高裁による判決
(1)実施可能要件の考え方
特許法36条4項1号は,明細書の発明の詳細な説明の記載は,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものでなければならないと定めるところ,この規定にいう「実施」とは,物の発明においては,その物を作り,使用をする行為をいうものであるから(同法2条3項1号),物の発明について実施可能要件を満たすためには,明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が,その記載及び出願時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,当該発明に係る物を作り,使用をすることができる程度のものでなければならない。
そして,医薬の用途発明においては,一般に,物質名,化学構造等が示されることのみによっては,その有用性を予測することは困難であり,発明の詳細な説明に,有効量,投与方法,製剤化のための事項がある程度記載されていても,それだけでは,当業者は当該医薬が実際にその用途において利用できるかどうかを予測することは困難であり,当業者が容易にその実施をすることができる程度に記載されているというためには,明細書において,当該物質が当該医薬用途に利用できることを薬理データ又はこれと同視することができる程度の事項を記載して,その医薬を製造することができるだけでなく,出願時の技術常識に照らして,当該用途の医薬として使用できることを当業者が理解できるように記載される必要がある。
(2)本願発明への適用
本願明細書には,具体例として,最大努力時VO2を主要アウトカムとした「運動負荷試験」である実施例3が記載され,試験結果は,表14,図2及び図3に記載されている。
まず,表14をみると,変化スコアの平均値「0.2」に対して,ばらつきを示す標準偏差の値「±5.0」は非常に大きな値であるし,本願明細書には「分散分析は変化スコア間に差がないことを示唆する(p=0.85)」と記載されている。
次に,図2,図3によると,・・・5名のうち,2名の最大努力時VO2は正に変化し,3名の最大努力時VO2は負に変化しているところ,・・・5名のうち2名については,最大努力時VO2が改善し,3名については,最大努力時VO2が悪化したということになる。しかし,同じくフォンタン手術を受けた患者の中で,正の変化をした者2名と,負の変化をした者3名という正反対の結果がもたらされた理由については,本願明細書には何ら記載がない。 また,図2及び図3によれば,正あるいは負に変化した例数や程度と,ウデナフィルの投与量や投与回数との間に,一定の傾向や,対応関係,技術的意味があることを看取できない。
また,本願明細書には,ウデナフィルが,・・・フォンタン手術を受けた患者における,最大努力時VO2により測定される運動耐容能を改善する作用機序は記載されていない。また,この点について技術常識があるとも認められない。
(3)裁判所の判断
以上のように,「本件処方における変化スコアの平均値は小さい一方で,ばらつきを示す標準偏差が非常に大きな値であること」,「本件処方を受けた者,そのほかの用量・用法の処方を受けた者,ウデナフィルを投与されなかった者のそれぞれについて,最大努力時VO2が正に変化した場合と負に変化した場合があるが,その理由は明らかでないこと」,「本件処方においては,むしろ最大努力時VO2が悪化した者の方が多いこと」,「最大努力時VO2が正あるいは負に変化した例数や程度と,ウデナフィルの投与量や投与回数との間の技術的関係についても明らかでないこと」,「ウデナフィルが,フォンタン手術を受けた患者における最大努力時VO2により測定される運動耐容能を改善することの作用機序が明らかでなく,ウデナフィルが上記のような運動耐容能を改善するとの技術常識があるとも認められないこと」を踏まえると,5名中2名の最大努力時VO2が正に変化したという試験結果のみをもって,ウデナフィルの本件処方により,最大努力時VO2が改善したものであるとまで理解することはできない。
そうすると,本願発明が実施可能要件を満たさないとした本件審決の判断に誤りはない。
(なお,認定説示に照らせば,サポート要件違反に関する原告の主張も採用できないことは明らかである。)
5.考察
本判決において,医薬用途に関する記載要件の考え方が示された。すなわち,明細書において,薬理データ又はこれと同視することができる程度の事項を記載して,その医薬を製造することができるだけでなく,出願時の技術常識に照らして,その用途の医薬として使用できることを当業者が理解できるように記載される必要がある。
本判決では,実験データにおいて,平均値に対して標準偏差の値が非常に大きな値である点について指摘されている。この事例では,明細書において,「分散分析の結果,変化スコア間に差がない」ことが記載されているが,今後とも,実験データにおいて,分散分析によって有意差を示すことができるか否かは,実施可能要件の判断における課題の一つといえる。
また,実施例において,患者の中で正の変化をした者と負の変化をした者という正反対の結果が示されていることについて,本判決では,正反対の結果がもたらされた理由について本願明細書に記載されていない点が指摘されている。今後とも,実施例において,本願発明の効果を示さないデータがある場合には,明細書において,その理由を説明することが重要である。
なお,本判決の判示事項について,さらに明確にするためには,判例の蓄積が必要であり,今後の判例の動向に注目することが重要である。
知財高裁HP:令和2年(行ケ)第10122号判決文
◎最近の参考判例
知財高裁令和3年12月27日判決「5-HT1A受容体サブタイプ作動薬事件」においても,医薬用途に関する記載要件(実施可能要件,サポート要件)の考え方が示されている。この判決では,その医薬を患者に対して投与した場合に,「著しい副作用又は有害事象の危険が生ずるため投与を避けるべきことが明白であるなどの特段の事由」がない限り,明細書の記載及び特許出願時の技術常識に基づいて,その医薬が対象疾患に対して治療効果を有することを当業者が理解できるものであれば足りる旨判示されている。解説は,青山特許事務所ホームページ(https://www.aoyamapat.gr.jp/news/3131)を参照のこと。
(加藤 浩)