はじめに
経済のグローバル化に伴い、海外に事業展開する技術分野について、国の内外を問わず特許権を取得することが極めて重要となっている。このような状況下、海外での適切な権利取得の支援、権利取得の効率化・低コスト化を目的とした特許審査ハイウェイについて、様々な観点から分析し、その効率的な利用案について考察する。
1.国内外で早期に権利を取得するための様々な施策
国内外で早期に権利を取得するための様々な施策としては、主に以下の5つが挙げられる。すなわち、早期審査、スーパー早期審査、優先審査、特許審査ハイウェイ、JP-FIRSTであり、いずれも別途の庁手数料は不要である。いずれの制度もうまく活用することにより、出願人は早期に審査結果を得、権利化を図ることができる。
2.特許審査ハイウェイ(PPH)とは
特許審査ハイウェイは、第一庁で特許可能と判断された発明を有する出願について、出願人の申出により、第二庁において簡易な手続で早期審査が受けられるようにする制度である。その目的は、出願人が海外で迅速に安定した権利を取得することを支援すること、特許庁間の重複作業を低減することにより各庁の審査負担を軽減することである。これにより、安定した強い特許権の早期取得が可能である。
2006年7月に日米間で試行プログラムが開始されて以来、日本国特許庁は現時点でアメリカ、韓国、イギリス、ドイツ、デンマーク、フィンランド、ロシア、オーストリア、シンガポール、ハンガリー、カナダなど11カ国の特許庁と当該プログラムを本格実施または試行している。
3.利用企業の技術分野
特許審査ハイウェイの利用企業の技術分野は、日米試行期間中の利用案件全55件のうち、電気通信技術分野の企業が最も多く、次いで遺伝子工学、測定分野となっている。この傾向は本格実施後においてもそれほど変わっておらず、早期権利化の必要性の高い電気・機械系技術分野で多く利用されている。
当所の特許審査ハイウェイ利用分野についても同様の傾向である。すなわち、2009年10月21日時点で当所ケース全21件中、電気・機械分野で13件であった。また日米間で最も多く、全21件中14件であった。
4.主なメリット
特許審査ハイウェイの主なメリットとしては、5つ挙げられる。まず、迅速な権利取得が可能であることであり、第二庁において、第一庁の審査結果を利用して早期に審査が開始されることにより、ファーストアクションまでの期間が短縮される。次に、二つの特許庁により審査がなされることにより、安定した権利取得が可能であることである。また、すでに第一庁で審査結果を経たものであるため、第二庁での中間処理回数が減少し、応答コストが軽減すること、および第二国での法的安定性が高まる、つまり権利が無効となる可能性が低減することにより、低コストであることである。さらに、重複作業を低減することによる審査負担の軽減により、審査効率が向上することである。そして、特にクロスライセンス交渉が盛んな分野において、交渉中の立場を強化するために、特許審査ハイウェイを活用して二庁による先行技術調査結果を早期に取得しうることにより、ライセンス・権利行使時に有利となることである。
5.主なデメリット
主なデメリットとしては、4つ挙げられる。まず、制度が始まってそれほど期間が経過していないため、書類の不備等により特許審査ハイウェイの申請自体が却下される場合も考えられ、結果的に出願人のコスト負担が軽減しない場合もある。そのため、代理人の不慣れにより請求額が増大する場合もあることである。また、第一庁と第二庁の二庁間の審査レベル、判断基準の相違により必ずしも両庁で権利が取得できるわけではないことである。さらに、特に第一庁で特許されたクレームの範囲が狭い場合でも、第二庁においてそれと十分対応させた範囲に合わせなければならないため、結果的に第二国でも狭い範囲でしか権利化できないことである。そして、実務レベルでどの程度まで第一庁のクレームに対応していれば同一と認められるのかについて不明確であることが挙げられる。
6.要件と必要書類
特許審査ハイウェイの要件について、相手国で特許審査ハイウェイの対象となるためには、4つの要件を満たす必要がある。すなわち、日本出願を優先権主張の基礎として相手国になされた出願であること、日本出願が特許可能と判断された請求項を有すること、相手国出願の全ての請求項が日本出願の特許可能と判断された請求項に十分対応していること、相手国出願が審査着手されていないことである。第四要件について、韓国、デンマーク、フィンランド、オーストリアおよびハンガリーでは審査着手後であっても対象となる。
相手国出願の中にはPCT出願から相手国に移行したものも含まれる(Case 1)。また、基礎となる日本出願が取り下げ擬制された場合であってもPCT出願から国内移行した日本出願が特許可能と判断された請求項を有していれば特許審査ハイウェイの申請が可能である(Case 2)。相手国がドイツ以外であれば、優先権主張を伴わないPCT出願、いわゆるダイレクトPCT出願が、日本および相手国に国内移行している場合も対象となる(Case 3)。
特許審査ハイウェイの相手国特許庁への申出に際しては、原則として4つの書類を提出する必要がある。すなわち、日本で特許可能と判断された請求項と相手国出願の請求項の対応表、日本で特許可能と判断された請求項の写しと翻訳、日本出願に対して通知されたオフィスアクションの写しと翻訳、オフィスアクションで引用された文献である。米国、シンガポール以外への申出に際しては、日本国特許庁がAIPN(高度産業財産ネットワーク)により審査経過情報を提供している出願について、その写しと翻訳の提出を省略でき、引用文献は特許文献であれば原則提出不要である。従って、多くの場合、請求項対応表のみを提出すればよいことになり、手続も非常に簡易なものである。
日本国特許庁への申出も同様の要件である。すなわち、US, KR, UK, GE, DK, FI, RU, AT, SG, HU, CAのいずれかの国の外国出願を優先権主張の基礎として日本国になされた出願であること、外国出願が特許可能と判断された請求項を有すること、日本国出願の全ての請求項が外国出願の特許可能と判断された請求項に十分対応していること、日本国出願が審査着手されていないことである。必要書類は、相手国特許庁への申出と同様であるが、これらを早期審査に関する事情説明書に添付するか、あるいは、提出を省略する場合は事情説明の中で省略する物件名を記載する。
7.日米間PPHと早期審査制度との比較
ここで、特に日米間の特許審査ハイウェイとそれぞれの早期審査制度とを比較する。日本国特許庁に早期審査を申請するためには、出願人は先行技術調査を実施し、早期審査に関する事情説明書の中で先行技術文献を開示し、本願発明との対比説明を記載する必要があるが、特許審査ハイウェイの場合には、これらに代えて対応表のみを提出すればよい。
次に、米国特許庁に通常の早期審査を申請するためには、多くの要件が課されている。すなわち、申請は出願時のみであり、PCT出願は対象外であること、独立請求項は3つ以下かつ全請求項は20以下であり、OAに対して1月以内に応答する必要があり、AESD(早期審査補助文書)を提出する必要がある。しかし、特許審査ハイウェイを利用すれば、これらの要件はすべて不要となり、要件が大幅に緩和される。
8.審査待ち期間と特許率の比較
日米間における審査待ち期間と特許率を比較すると、米国の平均的出願では出願から審査着手まで25.3月かかり、特許率が44%であるのに対して、特許審査ハイウェイを利用した場合には出願から審査着手までの期間を18月程度まで早めることができる。さらに第一庁ですでに特許可能と判断されているため、特許率は95%と非常に高い。
日本の平均的出願では審査請求から審査着手まで26月かかり、特許率は50%であるのに対して、特許審査ハイウェイを利用した場合には審査請求から審査着手までの期間を5月まで短縮することができる。さらにこの場合の特許率は64%と平均的出願よりも高くなっている。
9.JP-FIRSTとの組み合わせ
日本国特許庁では、現在JP-FIRSTという運用がなされている。これは一次審査結果を出願人に早期に提供するとともに、世界の特許庁に先駆けて日本の審査結果を発信し諸外国特許庁の審査においてその有効利用を図ることにより、出願人の海外での適切な権利取得を支援するための施策である。JP-FIRSTの対象となるものは、パリ優先権主張の基礎となる特許出願のうち、出願日から2年以内に審査請求されたものである(PCT出願の基礎となる出願は対象外)。
当該運用を利用した場合の審査着手時期は、審査請求と出願公開のいずれか遅い方の日から、原則6月以内、かつ、出願から30月を超えない時期である。これにより米国特許庁での審査着手または欧州特許庁でのサーチレポート作成よりも早期に審査着手がされる。従って、日本を第一国として米国に特許審査ハイウェイを申請する場合に、日本出願から2年以内に審査請求すれば、審査請求から6月程度で審査着手されるため、米国における特許審査ハイウェイ申請のために日本において特に早期審査を申請しなくても特許可能との判断が得られ、米国においても早期に権利取得が可能となる。
10.今後の課題
最後に、特許審査ハイウェイの今後の課題について検討する。現在のところ、細部では各国の要件および必要書類が異なっているため、出願人の実務的・費用的な負担がある。そのためさらなる手続の簡略化および柔軟化が必要である。また、各国の審査レベルおよび判断基準の統一や、クレームの対応性についての明確な見解が必要である。さらに、特許審査ハイウェイの利用状況を開示することにより、多くの出願人に本制度の利用を図ることも必要である。この点、代理人として、クライアントに対して積極的に特許審査ハイウェイ利用を提案することも必要ではないかと考える。
11.参考資料
・特許庁HP
・パテントVol.61 No.2 2008 p.26-41
・知財管理Vol.58 No.2 2008 p.201-209
・知財管理Vol.59 No.8 2009 p.923-944
呉 英燦