東京地裁令和6年10月28日決定
(令和6年(ヨ)第30029号)
1.事件の概要
債務者(バイエル・ヘルスケア・エルエルシー)は、厚生労働省(以下「厚労省」という。)及び独立行政法人医薬品医療機器総合機構(以下「PMDA」といい、厚労省と併せて「厚労省等」という。)に対し、債務者の医薬品(以下「債務者製品」という。)のバイオ後続品を製造販売する行為が本件特許権(特許第7320919号)を侵害する旨の告知をした。
本件は、債権者(サムスン バイオエピス カンパニー リミテッド)が、上記告知は不正競争防止法(以下「不競法」という。)2条1項21号所定の不正競争に当たり、これによって債権者の営業上の利益が侵害されるおそれがあると主張して、不競法3条1項に基づく差止請求権を被保全権利として、債務者に対し、申立ての趣旨記載の行為の差止めの仮処分を求めた事案である。
東京地方裁判所は、上記行為は不競法2条1項21号所定の不正競争に該当しないとして、債権者の申立てを却下した。
2.事件の経緯
債務者及び申立外リジェネロン・ファーマシューティカルズ・インコーポレイテッドは、債務者製品を共同開発し、債務者の関連会社であるバイエル薬品株式会社(以下「バイエル薬品」という。)は、平成24年(2012年)11月、債務者製品の販売を開始した。
債権者製品の日本における製造販売業者であるグローバルレギュラトリーパートナーズ合同会社(以下「GRP」という。)は、令和5年5月31日、厚生労働大臣に対し、薬機法14条1項に基づき、債務者製品のバイオ後続品として、債権者製品の製造販売の承認申請(以下「本件承認申請」という。)をした。
債務者は、令和5年7月27日、本件特許の設定登録を受け、医薬品特許情報報告票を厚労省に提出した。債権者、GRP及び厚労省は、令和5年9月21日、本件承認申請に関する会議を開いた。
GRPは、令和5年11月9日、厚労省の指摘を踏まえて適応症からwAMD を削除し、令和6年6月24日、適応症を網膜静脈閉塞症に伴う黄斑浮腫、病的近視における脈絡膜新生血管及び糖尿病黄斑浮腫とする内容で債権者製品の製造販売の承認を受けた。その後、債務者による厚労省等への告知行為として、債権者製品が債務者の特許を侵害するとして、債務者が厚労省に情報提供を行った。
3.本件特許発明
本件特許の特許請求の範囲の請求項1の記載は、次のとおりである(以下、請求項1に記載された発明を「本件発明」という。)。
【請求項1】
抗 VEGF 剤としてアフリベルセプトを含む、フルオレセイン蛍光眼底造影によって決定される全病変サイズの 50%未満の活動性 CNV病変サイズを有する湿潤加齢黄斑変性症(wAMD)患者の治療における使用のための医薬組成物であって、
wAMD 患者が以下の重要な組み入れ基準
・試験眼においてフルオレセイン蛍光眼底造影(FA)によって明らかになる、中心窩に影響を及ぼす傍中心窩病変を含む、AMD に続発するクラシック主体型活動性中心窩下脈絡膜新生血管(CNV)病変、
・ETDRS の試験眼の最高矯正視力(BCVA)は73~25文字(試験眼のスネレン等価視力は20/40~20/320)、及び
・50歳以上の年齢
を満たし、
wAMD 患者が以下の重要な除外基準
・全病変サイズは、FAによって評価される12の乳頭領域(30.5mm2、血液、瘢痕および新生血管を含む。)より大きい、
・網膜下出血は全病変領域の 50%以上であるか、または血液が中心窩の下にある場合、1つまたは複数の乳頭領域のサイズである(血液が中心窩の下にある場合、中心窩は目に見えるCNVによって270度囲まれていなければならない)、
・ポリープ状脈絡膜血管症(PCV)を有する被験者を含む、wAMD 以外の起源を持つCNVの存在、
・実質的に不可逆的な視力喪失を示す中心窩を含む瘢痕、線維症または萎縮症の存在、
・網膜色素上皮断裂または黄斑に関与する裂け目の存在、及び
・糖尿病性網膜症、糖尿病性黄斑浮腫またはwAMD以外の何らかの網膜血管疾患の病歴または臨床的証拠を含む、wAMD以外の起源を持つCNVの存在
を満たす、医薬組成物。
4.裁判所の判断
ア 判断基準
裁判所は、日本におけるパテントリンケージの趣旨と運用について示したうえで、医薬品特許情報報告票について、「先発医薬品を製造販売する特許権者等から任意に提出されるものであり、その記載内容等に係る特段の制限はなく、上記特許権者等が先発医薬品に係る特許と後発医薬品との特許抵触の有無に関する自己の見解を記載すること自体を妨げるものではない」と判示した。
また、不競法2条1項21号は、競争関係にある者が、競業者の営業上の信用を害する虚偽の事実を告知し又は流布する行為を不正競争の一類型と定めるものであり、先発医薬品に係る特許権者等と、後発医薬品の製造販売承認を申請する者との間には「競争関係」があるとしたうえで、「仮に、パテントリンケージの下で、上記特許権者等が、その後に確定した裁判所の判断とは異なり、先発医薬品に係る特許と後発医薬品との特許抵触がある旨の回答をする行為が、虚偽の事実を告知するものとして直ちに違法になるのであれば、上記特許権者等は、医薬品特許情報報告票に特許抵触の有無につき自己の見解を十分に記載することができなくなる」として、パテントリンケージの趣旨目的を阻害するおそれについて判示した。
以上の観点から、裁判所は、パテントリンケージにおける不正競争該当性の判断基準として、「先発医薬品に係る特許権者等がパテントリンケージにおいて先発医薬品に係る特許と後発医薬品との特許抵触がある旨の虚偽の回答をする行為」について、「パテントリンケージの趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものと認められる特段の事情がある場合」には、不競法2条1項21号に掲げる不正競争に該当する旨、判示した。
イ 判断基準該当性
<本件発明の実施該当性>
裁判所は、用途発明について、「既知の物質について未知の性質を発見し当該性質に基づき顕著な効果を有する新規な用途を創作したことを技術的特徴とするもの」としたうえで、用途発明についての特許法2条3項にいう「実施」とは、「専ら新規な用途に使用するために既知の物質を生産、使用、譲渡等をする行為」であるとして、本件発明における特許法2条3項にいう「実施」とは、「専ら本件特定患者群に投与するために、抗VEGF剤を生産、使用、譲渡等をする行為」である旨、判示した。
そして、債権者製品は、本件特定患者群に投与するものとして承認申請がされているものとはいえないとしたうえで、「債権者が、本件承認申請とは異なる用途で債権者製品をあえて販売等する蓋然性が認められる特段の事情があれば格別、本件全疎明資料によっても、当該特段の事情を明らかに認めるに足りない」として、債権者による債権者製品の製造販売等は、本件特許権を侵害するものと認めるに足りないと判示した。
さらに、裁判所は、「仮に債権者製品が結果的に一定割合の本件特定患者群に投与される可能性を理由として、債権者製品の製造販売等が本件特許権を侵害するという債務者の見解に立った」としても、「債務者製品は、本件優先日よりも前の時点において製造販売されていたのであるから、債務者製品についても、債権者製品と同様に、一定割合の本件特定患者群に投与されていたものと認められる」として、債務者製品の製造販売は、特許法29条1項2号にいう公然実施に該当し、本件特許が無効にされるべきものであると判示した。
以上より、裁判所は、債務者において、債務者製品のバイオ後続品を製造販売すれば、本件特許を侵害する旨の回答をした行為(本件告知)は、虚偽の回答をしたものと認めるのが相当であると判示した。
これに対して債務者は、「技術常識の変遷により、本件優先日前の債務者製品に係る製造販売は本件特許の公然実施に該当しない一方、現時点の債権者製品に係る製造販売は本件特許を充足する」と主張したが、技術常識の変遷については、客観的な証拠がないとして、債務者の主張は否定された。
<「特段の事情」該当性>
裁判所は、債務者が、債務者製品のバイオ後続品を製造販売すれば、本件特許を侵害する旨の回答をした行為(本件告知)は、虚偽の回答をしたものと認めたうえで、パテントリンケージにおける医薬品特許情報報告票の提出については、「厚労省等が後発医薬品の安定供給を確保し得るか否かの判断を行うための内部資料として提供するという位置付けのものであり、特許抵触の有無に係る裁判所の判断が確定する前にこれとは異なる回答をすることが直ちに違法になるものではない」とした。
そして、「先行バイオ医薬品(債務者製品)とバイオ後続品(債権者製品)が同一の適応症(wAMD)に係るものであり、かつ、先行バイオ医薬品とバイオ後続品に係る対象患者群は、いずれも本件発明の対象患者群(本件特定患者群)を必然的に包含する関係にあるから、債権者製品の少なくとも一部は、本件特定患者群に使用されることが認められる。」と判断し、「仮に用途発明の構成要件充足性に係る債務者の見解に立った場合には、これが独自見解であったとしても、本件特許権の侵害をいうものとして主張としては一応成り立ち得る」として、「債務者の上記見解が直ちに主張自体失当であるとまでいうことはできない。」と判示した。
さらに、「仮に、債務者の充足性に係る見解に立った場合には、債務者は、本件優先日前の債務者製品に係る製造販売は本件特許の公然実施に該当しない一方、その後の技術常識の変遷により、債権者製品に係る製造販売は本件特許を充足するに至ったと主張するのであるから、この場合には、上記技術常識の変遷が一応の中核的争点になる。」として、この点については、「当業者の専門的知見を踏まえた審理判断が必要不可欠であり、本案において主張立証を尽くした上、専門委員などを選任し専門的知見も踏まえるなど十分な審理を尽くしていない段階において、債務者の上記主張が直ちに失当であるということはできない。」と判示した。
また、「従前には、パテントリンケージにおける特許権者等の情報提供について、不競法の虚偽告知該当性が問題となった裁判例はなく、同種事例における裁判規範が示されていなかったのであり、しかも、本件特許権とそのバイオ後続品との関係については、世界各国において同種の特許権侵害訴訟が提起されており、本件もそのグローバルな紛争の一環として位置付けられるのであるから、債務者が、厚労省等に対し、自己の見解として本件告知をしたのにはやむを得ない側面があったともいえる。」と判示した。
これらの事情のほかに、「本件に現れた諸事情を総合考慮すれば、債務者が本件告知をした行為は軽率の誹りを免れないものの、今後も本件告知を繰り返すような場合は格別、本件告知がパテントリンケージの趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものということはできず、前記特段の事情を認めることはできない」と判断して、債務者が本件告知をした行為は、不競法2条1項21号に掲げる不正競争に該当するものとはいえないと判示した。
5.コメント
裁判所は、パテントリンケージにおいて特許権者等が医薬品特許情報報告票を提出する行為について、不競法2条1項21号に規定される不正競争に該当するか否かの判断基準が示された。すなわち、医薬品特許情報報告票に虚偽の回答をする行為について、「パテントリンケージの趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものと認められる特段の事情がある場合」には、不正競争に該当することが示された。また、「特段の事情」については、パテントリンケージにおける医薬品特許情報報告票の提出について、「特許抵触の有無に係る裁判所の判断が確定する前にこれとは異なる回答をすることが直ちに違法になるものではない」としたうえで、「独自見解であったとしても、本件特許権の侵害をいうものとして主張としては一応成り立ち得る」等の判断により、特段の事情を否定する考え方が示された。
今後は、本判決の判示事項を踏まえて、虚偽の回答になる可能性や特段の事情に配慮して、パテントリンケージにおける医薬品特許情報報告票を作成して提出することが重要である。
また、裁判所は、用途発明の「実施」について、「専ら新規な用途に使用するために既知の物質を生産、使用、譲渡等をする行為をいうものと解するのが相当である」と判示し、適応外使用については、「債権者が、本件承認申請とは異なる用途で債権者製品をあえて販売等する蓋然性が認められる特段の事情があれば格別、本件全疎明資料によっても、当該特段の事情を明らかに認めるに足りない」として、債権者製品の製造販売等による本件特許権の侵害を否定した。医薬品の用途発明の特許権の効力範囲を検討するうえで、「本件承認申請とは異なる用途で債権者製品をあえて販売等する蓋然性が認められる特段の事情」について考慮することが重要であり、今後の実務の参考になる。
なお、パテントリンケージにおける判断に際して、技術常識の変遷については、「当業者の専門的知見を踏まえた審理判断が必要不可欠である」としたうえで、「本案において主張立証を尽くした上、専門委員などを選任し専門的知見も踏まえるなど十分な審理を尽くしていない段階において、債務者の上記主張が直ちに失当であるということはできない。」と判示した。これは、パテントリンケージにおける判断において、専門委員制度の活用の必要性を示唆するものであり、今後のパテントリンケージ制度のあり方を検討するうえで参考になる。
また、パテントリンケージにおける不正競争該当性(虚偽告知該当性)や特段の事情の考え方については、裁判例の蓄積が必要であり、今後の裁判例の動向に注目することが重要である。
知財高裁HP:令和6年(ヨ)第30029号判決文
(加藤 浩)